強行遠足

強行遠足の歴史と概要
「強行遠足」の始まり

大正13年(1924)11月3日の明治節に「明治節を国民体育日と定める。諸学校とも記念行事を実施せよ。」との文部省通達に応え、甲府中学校(甲府一高)では、江口俊博校長が「歩くにまさる身体の訓練はない」として「強行遠足」の第1回大会を開催。
この甲府一高伝統の行事である強行遠足は回数を重ね、平成21年で第83回大会となった。

 

強行遠足の名の由来

(「本校における強行遠足の意義とその実際」昭和12年発刊より)

敢えて強行遠足と名づけたのは、自分の体力に応じて歩けるだけ歩くことに事を強調せんがためであった。由来人情の弱点は安易なものとの妥協である。歩く場合も少し疲労を感ずると乗物の事を考えるか或いはさして苦痛を感じないのに中途において止めてしまうことになり、これら一切の妥協と怠慢を排して精根限り歩くと言うことを重視したところからくる。

 

強行遠足の沿革

強行遠足は、途中終戦の年と伊勢湾台風などの影響から3回中止となったことを除き、平成21年で83回の回数を重ねた本校伝統の行事である。コースの変遷は、創生期を除き、三つに分けることができ昭和36年(第36回)までの信濃大町方面コースと小諸方面コース及び平成15年からの野辺山方面コースとなる。

 

昭和38年からの小諸方面コース

男子:学校-韮崎-清里-野辺山-小海-中込-小諸(長野県)までの全長103.4km
女子:須玉-清里-野辺山-小海までの全長45.5km

強行遠足を始めた第10代江口俊博校長

 

コースの変遷

第1回 東京方面コース
第2・3回 松本方面コース
第4・5回 木曽福島・松本方面コース
第6~36回 信濃大町方面コース
第37~76回 小諸方面コース
第77~85回 野辺山方面コース(男子は第82~85回小海方面コース)
第86回 小海方面コース
第87回~ 小海・小諸方面コース

 

地図

 

関連情報

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